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【伝統構法の基礎知識】石場建てとは

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石場建ての読み方

 「石場建て」の読み方は「いしばだて」です。地域や人によっては「石場立て」「石場建」「石場立」と書く場合もあるようですが、私が関東の建築設計の現場で見聞きすることが多いのは「石場建て(いしばだて)」の言葉です。

  また学術的な場では、礎石造(そせきづくり)、礎石建て(そせきだて)、礎石建物’(そせきたてもの)と表現される場合もあるようです。

石場建てとは

 石場立てとは、古民家や古い寺社仏閣などに見られる石の上に柱が乗っているだけでの構造のことです。柱の下に敷かれた石は礎石(そせき)と呼ばれ、石と柱が固定されていないことが特徴です。
 石場建ては礎石の上に柱を固定させずに据え置くため、柱の太さを太くして瓦屋根の重みで建物全体を安定させる必要があります。また、柱の上の屋根との接点を複雑に組んで地震や台風の横力を分散させる柔構造の構法です。

石場建ての歴史

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 古代の建築は、柱を土に埋めただけの掘立造(ほったてづくり)でした。高度な建築技術を持たない古代人は部材同士を引っかけ、縄で縛りつけて固定していました。それだけでは構造が安定しないため、柱の根元を土中に埋め込み、土圧によって安定させる構造にしたのです。

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 掘立造で土に埋められた柱は腐りやすく耐久年数が短くなるため、地盤の上に石を置き、その上に柱を立てる構法「石場建」が、耐久性向上のために生まれたと考えられます。

 また中国大陸や朝鮮半島では早くから礎石・土台建物が普及していたため、大陸からの影響もあったと考えられます。

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 古代の堀立構造の伊勢神宮の耐久年数は20年で20年ごとに建て替えが行われています。つまり、堀立構法の耐久性は20年程度が限界ということうです。

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 反対に、石場建てで建てられた法隆寺は1300年の歴史を経て現存しています。現在でも、石場建ての構法は古い神社やお寺の足元周りで見ることができ、その歴史が石場建の耐久性の高さを物語っているとも言えます。

石場建ての普及と法整備

 鎌倉時代に幕府の置かれた鎌倉では、礎石建物と掘立柱建物の両方の遺跡が見つかっていますが、石場建ては格式の高い武家屋敷の主要な建物のみに限定されており、庶民の家は掘立造でした。

 近世に入っても、農村集落や町屋では役人以上の階層に石場建てが見られる程度で、庶民の住宅は掘立造の建物でした。庶民階級に石場建てが普及し始めるのは早くても18世紀後半頃、幕末期以後だったのです。

 そして、幕末以降に普及した「安易な石場建て」も含めた粗悪な建物を取り締まるために、建築基準法が整備されていったのです。

なぜ今、石場建てが話題なのか?

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 1300年以上の歴史を刻む法隆寺の構造に見られるように、古い寺社仏閣には学ぶべき構造力学がたくさんちりばめられています。数百年の寿命を持つ「伝統構法」の構造力学は、まだまだ解明されていない部分もありますが、その耐久性、免震性、修復性には大きな期待が寄せられており、現代でも様々な実験で検証がなされています。

 「木組み」で組まれ一体化した建物を、固定せずに「石場建て」の礎石の上に乗せることによって、地震が起こった際に建物ごと礎石の上をすべり、家の倒壊を防ぐ効果があると言われています。

 そのような伝統構法の「石場建て」の免震性に惹かれた建築士や工務店、施主が現代においても伝統的な寺社仏閣のような丈夫な家を建てたいと、石場建てに興味関心を示しているのです。そのため、インターネットなどでも「石場建て」の情報が多く発信されているのです。

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