引き続きもう少し古い建物です。
2)旧鈴木家 :19世紀初頭 築約200年
- (民家園ホームページより転載 )
- 川崎市教育委員会の文化財紹介によると
「鈴木家は屋号を「赤浦屋」といい、奥州街道に面する宿場町・八丁目宿本町(福島県松川町)の馬宿であった。当住宅の建立年代を示す資料はなく、また解体移築にあたってもその種の史料は発見できなかったが、様式や技法から判断して、19世紀初めごろの建築と考えられている。基本的には建立当初の姿に復原されているが、街道側の立面については、当住宅が宿場民家として最も整った姿を見せていた幕末期の間口3間の時の店構えと連子付板暖簾を持つ形式に復原されている。」とあります。
約200年経っているわけですが、どれだけ住まいを持たせれは持続可能なのか?使用する木材の成長を考えるとまずはこのくらいが一つの目安かなと思います。
鈴木家は使用材は、杉などの針葉樹であることは確かと思われますが・・・私の目ではそれ以上はわかりませんでした。基礎は土台を廻しており、耐久性からみると不利な作りになっています。
ではその足元周りはどうなっているかというと・・・・
拡大すると・・・
補修の跡がよくわかります。
続いてこのような場所も・・・
何か所も木を継いで直しています。直したところも傷みかけていますね。
分かりにくいですが、かなり木が腐っています。
方角によってかなり被害・補修状況に違いが見られました。
東側を除き半数以上の柱の足元周りが取り換えられたり傷んだ状況でした。
この建物も湿気の多そうな場所で、足元周りが湿っていたり、濡れていたりと建物が建つ環境として厳しい感じも受けました。
3)旧井岡家 :江戸時代中期17世紀末 築約350年
(民家園ホームページより転載 )
- 川崎市教育委員会の文化財紹介によると
「井岡家住宅の奈良市下高畑町である。(略)奈良町は近世以前に、すでに宅地の細分化が進んだらしく、1軒ごとの町屋の敷地、特に間口はかなり狭い。そのため主屋は土間に沿って一列に部屋の並ぶ形式のものが圧倒的に多い。井岡家もこうした町屋の一例で、建立年代は17世紀末頃と推定され、現存する奈良町の町屋としては最古の部類に属する」とあります。
井岡家は使用材は、杉などの針葉樹であることは確かと思われますが・・・私の目ではそれ以上はわかりませんでした。基礎は土台を廻しており、耐久性からみると不利な作りになっています。
ではその足元周りはどうなっているかというと・・・・
こんな感じでところどころ傷んだり、補修されています。
東西面は確認できませんでしたが北側(裏)は、柱7本中4本が補修されていました。
4)三澤家:19世紀中頃 築約170年
(民家園ホームページより転載 )
川崎市教育委員会の文化財紹介によると
「三澤家住宅の旧所在地は中山道信濃路の脇往還・伊那街道(三州街道)に面する宿場町・伊那部宿(長野県伊那市)である。天保11年(1840)に焼失したという伝承があり、現主屋は様式や技法からみて、その直後の再建とみてよいようである。」
とあります。
三澤家は使用材は、杉などの針葉樹であることは確かと思われますが・・・私の目ではそれ以上はわかりませんでした。
ではその足元周りはどうなっているかというと・・・・
こんな感じです。基礎は土台を廻したところ、石場建てのところとあります。
土台はやはり傷んでいるように見受けられましたが、ひどい腐れはありません。
石場建ては経年変化による劣化はありますが腐れ虫食い等はなくまだ構造上の問題は少ないように見受けられました。
上の2件に比べ足元周りの環境が良いとに思われ、その影響も大きいように思われます。
やっぱり、実際の建物で確認することはきわめて重要と思いから、
以上4件の家屋を見ていただきました。他の建物も足元周りの補修が多々ありました。
また、屋根がしっかりメンテナンスしてあれば足元以外はほとんど問題は無いように見受けられました、本来なら工事報告書などで使用材料や補修箇所など確認が必要です、機会があれば川崎市に確認してみたいと思います。
フォロー出来次第報告します。
今回は足元まわりに焦点を当てました、そこが石場建ての建物の耐久性では一番の弱点だと思うからです。4件だけで判断するのは、早急ですが足元周りの環境、湿気の無い場所、風通しのよさ、濡れても乾きやすい環境なら100年程度は補修の必要がない可能性もあること、そして多くが補修してありますが、補修が容易であることは言えると思います。100年、200年建築の可能性が垣間見れたのではないでしょうか?
真夏の汗だくの調査報告は以上になります!!